校閲者の嘆きpart2 「動詞の選択」

校閲2014/11/21校閲者の嘆きpart2 「動詞の選択」

前回お届けした校閲者の生の声は、クライアントへの納品までの裏舞台でもあり、また翻訳者への品質向上の警笛でもあったのでしょうか。翻訳者が翻訳会社に納品した訳文を毎日毎日見ている校閲者の声は、翻訳者や翻訳者を目指す方々からも好評をいただきました。今回は「校閲者の嘆き」第2弾をお届けいたします！

一流の翻訳者は、動詞の選択が「的確」である。
超一流の翻訳者は、動詞の選出が「絶妙」である。私は一校閲者として、右も左も分からぬ翻訳業界へと身を投じてから、実はまだ5年に満たない。本音を言うと、こんなコラムなぞを書いていること自体、大変面映ゆい。
しかし、英訳における翻訳者の力量または才能を手っ取り早く看破するのに「動詞の選択のセンス」こそ非常に有力なファクターであることだけは割に早く察知していた。
以下、簡単に例を挙げてみよう。
私の専門は医薬なので、さしあたりその分野に限るが。非臨床（マウスなどの動物を用い、新薬候補であるところの化合物の安全性および有効性を探るステージ）分野で、当該化合物を投与し、動物たちの状態（例えばうずくまったり、涎を垂らしたりする）を観察、そんなくだりで、「～（という状態）が観察された」の箇所の訳語、動詞に「seen」が選択されていたとしよう。
うーむ。別段間違いとは言い切れないか。
が、私はそれを「observed」に修正する。けだし「格調」の問題である。
そう、その動詞、「see」では、いささか軽すぎはしないかね、という話なのだ。
「頬杖をついてガムでも噛みながら」動物たちを見ていたって良いとでも言うのかね。彼ら、人間たちの犠牲となっておるのに。（今さら何をムキになっているのだろうか）。
しかし、である。そこを「observed」と、こう修正しよう。
すると、どうだろう。これは、如実にトーンが変わってきはしないだろうか。
「うちら、とにかくずっと、じっと見てたかんね。厳粛な気持ちでもって、動物ちゃんたちの様子、漏らさず観察してたんだかんね」という、まあ何とも誠実にして真摯な雰囲気が、にわかに醸し出されてきはしないだろうか。（……ホントかね）。

もう一例。
ある医療機器がいよいよ「上市（じょうし）される」と。医薬にはそうした表現がある。
これは「市場で販売開始される」ことを意味する。いわゆる「限定用語」で、スポーツ新聞の校閲をしていた時分には一度たりとも出くわすことのなかった言葉だ。
で、この「上市される」を、「sold」としてくる訳者さんがたまにあるのだが、私はそれを文脈に応じ、「launched」あるいは「marketed」に修正する。これもやはり格調の問題からだ。
無論、「sold」でも間違いではないだろう。いずれ、それらは「売られる」のだから。
しかし……。その動詞、「sell」では、やはりどこか軽薄ではなかろうか。
例えばだが、あのフーテンの寅さんが「水風船」あたりを売り捌いても、それだって「sell」なのである。逆に言えば、彼のああした販売行為を「launch」「market」とは、何人たりとも表現しないだろうに。
（誤解のないように言い添えるが、私は寅さんファンである。もっとも近年は、鑑賞のたび、いたく「身につまされる」。……嗚呼、近親憎悪）。

かように動詞の選択とは、翻訳文の佇まいを強烈な力でもって左右する、実に重要なファクターである。
そう、それはもはや翻訳の要といっても過言ではないだろう。
冠詞や前置詞についてはことごとく完璧に近かったにしても、もし、「動詞の選択」に致命的なミスあれば、その訳文は惨憺たる品質ともなりかねないのだ。

しまいに。
翻訳業界における主役とは、シェフとは、いつだって翻訳者だ。
一方、校閲者とは、「味見役」あるいは「毒見役」にしかすぎない。
ゆえに黙々と「修正」だけをしていれば、いいのである。
基本、いじりすぎてはいけない。校閲者は、良くても「名脇役」でしかないのだから。

ただし。
料理を作っておきながら、その味見もせずに客へ提供するようなシェフを人は「プロ」と、果たして呼ぶだろうか。そうしてそんな店へ、人々は行列をなすだろうか。
現場では、実は再翻訳を余儀なくされる事態もままある。納期に間に合わないからだ。そう、つまり味見役、毒見役が一転「料理の作り直し」。

「訳しっぱなし」は致命傷に繋がる。ゆめゆめチェックを怠ることなかれ。

あらためて、翻訳者さんたちあるいは翻訳者を目指す方たちへ。

英訳の際には、とりわけ丹念に厳密に「動詞」を選出してください。
私、置換は、基本的に許さないのでね。（……ダジャレで終わるかね、しかし）。

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